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2008年01月 アーカイブ

2008年01月08日

劉邦の任侠生活

この背景には何があったのでしょうか。

思わず調べちゃいました。

反秦戦争に参加する前の劉邦はいわゆる任侠の徒であり、家業には手を貸さず、酒と女を好んで酒場に出入りしていた。縁あって沛の東にある泗水の亭長(犯罪取締り)という役職に付いたが、ここでも真面目に仕事をせずに、むしろ役人をからかうような言動が見られたので、沛の役人のほぼすべてが劉邦を軽蔑していたという。この役人の中に後に劉邦の覇業をたすけることになる蕭何と曹参もいたが、彼らもこの時期には劉邦をあまり高く評価していなかったようである。しかし何故か人に好かれる性質があり、仕事で失敗しても周囲がかばったり、劉邦が飲み屋に居れば人が集まって、いつのまにか店が満席になった。また、この任侠時代に張耳の食客になっていたともいう。

ある時に劉邦は夫役で咸陽に行った事があったが、そこで始皇帝の行列を見て、「ああ、男たるものああ為らなくてはいかんなぁ」と言った。この言葉は項羽が同じく始皇帝の行列を見たときに言った「あいつに取って代わってやる!」という言葉とよく対比され、劉邦と項羽の性格の違いを表すものとして使われる。

あるとき、単父(山東省)の人・呂公が仇討ちを避けて沛へとやって来た。名士である呂公を歓迎する宴が開かれ、蕭何がこの宴を取り仕切った。沛の人々はそれぞれ進物に銭を持ってきていたが、あまりに集まった人が多いので、蕭何は進物が千銭以下の人は地面に座ってもらおうとしていた。そこへ劉邦がやってきて進物を「銭一万銭」と宣言した。驚いた呂公は慌てて門まで劉邦を迎えて、上席に着かせた。蕭何は劉邦が銭などもっていないのを知っていたので、「劉邦は前から大法螺は吹くが、実際に成し遂げた事は少ない。(だからこのことも本気にしないでくれ。)」と言ったが、呂公は構わず劉邦を歓待し、その人相を見て劉邦を見込んで自らの娘を娶わせた。これが呂雉である。

妻を娶ったものの劉邦は相変わらずの侠客であり、呂雉は実家の手伝いをし、2人の子供を育てながら貧しく懸命に生きていた。ある時、呂雉が田の草取りをしていた所、通りかかった老人が呂雉の人相がとても貴いと驚き、息子と娘(後の恵帝と魯元公主)の顔を見てこれも貴いと驚き、帰ってきた劉邦がこの老人に人相を見てもらうと「奥さんと子供たちの人相が貴いのは貴方がいるためである。あなたの貴さは言葉にすることが出来ない。」と言い、劉邦は大いに喜んだという。ただし、この話はおそらく作り話であろう。『史記』には他にもいくつかの劉邦が天下を取る事が約束されていたとの話を載せているが、それらも同趣向である。ただそれらの逸話の中で劉邦は赤龍の子であるとする逸話は漢が火徳の王朝ということを自称することに繋がっている


引用『ウィキペディア(Wikipedia)』
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